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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

小説 砂漠の燈台 4

銀杏繁れる木の下で

      Ⅰ

 あの日は煙るような雨が降っていた。そんな中、驟雨に濡れながら銀杏を見つめている少女がいた。それは一枚の写真を見ている様だった。また、夢とも思える出会いであった。少女は濡れることを気にしている風ではなかった。茫然と見ているのではなく、何かに憑かれるその状態のなかにいるようにも見えた。雨のしずくは少女の髪をより黒く際立たせていた。まるでファッション雑誌から抜け出て来たのかと思わせる容姿だった。ただうっとりとして見ていた。
 人の気配を感じたのか恐る恐る振り返った。見つめる瞳には涙があふれているのが分かった。
「ごめんなさい。こんな姿をみせてしまって・・・」
と若々しいが少し湿ったやさしい言葉が投げられた。
「ごめん、邪魔をしたようですね」
彼はそう言って返した。
「この銀杏の木には祖父の思い出が一杯にあって、一度来たかったのですけれどなかなかここに来ることが出来なくて、それが気がかりでしたの。ようやく・・・」
 少女は何か言い訳をするように言葉を落とした。
「私にも、この銀杏の木には思い出があるのです。ときどきこうして会いに来るのです」
「こちらの方ですか」
「昔このあたりに住んでいました、子供の頃ですけれど」
「そうなのですか、祖父も若い頃にこのあたりに住んでいて銀杏の木との思い出がたくさんあったと書いていました」
「ではあっているかも知れませんね」
「それは、祖父は五十年も前に東京に出ていて、帰ることもなく・・・」
「戦後にと言う事ですね。大元駅の構内の銀杏の木はこうして年月を経ても立派に育っています。あなたのおじいさんが眺められたそのままの姿で今も…」
「岡山の空襲にも焼けずに残り、今もなお…」
「今でも沢山の人がこの銀杏を見に来ると言っています。きっと思い出があるのでしょう」
 
 彼は子供の頃父の仕事の関係で大元駅の近くに住んでいて銀杏に馴染んでいた。幼い頃の思い出は切ないほどの記憶となって甦る時があり、そこに魅かれてよく足を運んでいたのだった。

「見知らぬ人にぶしつけで申し訳ありませんが、お時間があれば少し御話を聞かせてくださいますか、その事で祖父を忍びたいと思いまして」
「では、今はなくなられて・・・」
「はい、祖父はこの銀杏について書き遺していたのです。それは偶然に祖父のパソコンを開いてあるファイルを開けてみると書きこんでいたのです」
 少女はそれをコピーした紙袋を抱えていたのだった。
「この銀杏を見つめていますと言葉が聴こえてくるような錯覚に陥りました。ただ夢中で聞こうとし耳を傍立てていましたが、それは祖父の声のようにも聞こえ、また、沢山の人達の声にも聞こえ、不思議な空間のなかにいて…。でも怖いという感覚はなく、なんだか心が安らぐのを感じていました」
「この銀杏には沢山の人が色々と心にある事を話しぶつけていますから、その人たちの木魂が返ってきたのかも知れません、また、人の世の移り変わりをじっと見ってきていますから」
「何時からここにあるのでしょうか」
「この駅舎が出来たのは大正十四年,鹿田駅としてできている。それから銀杏の苗が植えられて時間を経てここに、もう百二十年は過ぎていることでしょう」
「そうなのですね、こうして祖父が見た銀杏を私が今見ている、時を超え今ここに立っている、親しみがわき抱きつきたい衝動を感じていました」
「私も何度も登りました。私の場合は抱きしめられたという実感でしたが」
 少女は涙を拭いて銀杏の雄姿を見上げていた。
それは二人の数奇な出会いの始まりであった。
時の経つのを忘れてそこに立ちつくし見上げていた。
「どこか、場所を変えて色々と御話を聞かせてもらえませんか」
 少女は少し恥じらうように言った。
「初めての人にこんな厚かましい事をお願いするなんて、私はどうにかなっているのでしょうか」
 少女は顔を赤く染めていた。
「私でよければ、私は今、倉敷に住んでいるのです。小さな喫茶店をやっていまして、何か心に引っかかるものがある時にはここに来ることが多いいのです」
「倉敷、そこに行ってもいいでしょうか、厚かましすぎますか、そこで沢山、銀杏の事をお聞きしてもいいでしょうか・・・」
「構いませんよ、私も話し合い手が欲しいと思っていた時ですから」
 
 偶然と言う奇跡がある、それはまさにこのことかもしれない。
 彼は少女を車に乗せて倉敷に向かった。

 少女は車中で簡単に自己紹介をした。
 今、女子大に通っている事、父親は商社員だったが赴任地で事故にあいなくなったこと、母の里の祖父母に世話になり育てられた事、その祖父が病に倒れて亡くなったこと、祖母と母と三人で生活をしている事、などを簡単に話した。
 彼の喫茶店は観光地より少し離れたところにあり馴染みの客がほとんどで気の置けない店である事を話した。
 よくあることでこのような店を開いている人にはある特徴があった。彼もその例外ではなかった。客にコーヒーを出す傍らカメラを趣味に持ち自由に歩き回ることのできる立場にいた。
「静かでいい場所ですね」
 少女は窓辺りに座って外の景色を眺めながらポツンと言った。昔の佇まいが残っている場所にその店はあった。
「ああ、すいません。おしゃべりをしていて名乗ることも忘れていました。私は硯幾花と申します」
「私は可能悠介です」
 店内には悠介が撮った写真がいたるところに無造作に飾られていた。
「お写真を…」
「好きで撮っています。趣味と言うか道楽と言うのか、その程度のものです」
「それではあの銀杏の木の・・・」
 幾花は目を輝かせていた。
「ありますよ。朝の、昼の、夕景の、四季のまたその変わり目の、今日も撮り行ったのですが、シャッターを切るのを忘れていました」
「私の所為すか」
「いいえ、実は銀杏を見上げる驟雨のなかの少女、何か幻想的でしたから黙って撮らせて頂きました」
「まあ、出来たらぜひ頂きたいですわ、祖父に見せたい、いいえ、供えたいのです」
「いいですよ、約束します」
「来てよかった、祖父が作ってくれた偶然と言えばいいのでしょうか。祖父が書いていました、あの銀杏は雄の木だと」
「だけど、なぜか人間の男性のファンが多いいのですよ」
「こう言ってはおかしいかも知れませんが、女性の私も魅せられてしまいました」
「それは、本当の事は女性の人達も沢山わざわざ見に来られるのです。その人たちに尋ねたことがあります。こころのわだかまりを吐きだすと胸がすっきりとすると言っていました」
「分かります、何か温かい腕に抱かれているようでしたから」
 悠介はコーヒーを淹れて幾花の前に置いた。
「いい香りですね、東京のコーヒーには香りがなくなっています。よく祖父が淹れてくれたコーヒーの香りと同じです。コーヒーにはやかましい祖父でしたから、特別に豆を取り寄せ煎って一杯ずつミキサーで粉にして淹れてくれました。ここにも祖父の匂いがあるなんて、何と言っていいか…」
 幾花はそれを口に含んでにがみを味わいながら咽喉に落とした。
 悠介は銀杏の写真をテーブルの上に広げた。

     2

 ここに書くことは、人に読んでもらうという目的ではない。これは私の記憶があるうちに書きとめておきたいという目的で書く。
 フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」が流れているこの部屋で書き始めようと思う。
 先に書いておこう、この扉を開くかも知れない孫の幾花に読んでもいいという事を告げておこう。
書いていきたい。
 
 戦争前、私たちは満鉄に勤務する父親のその官舎に住んでいた。両親と私と妹の四人家族であった。
戦争が終わって命からがら日本に帰ってきた。それはここには筆舌し難い事ばかりで控えようと思う。引き上げて帰ってすぐに父親は国鉄に機関士として勤務をするようになった。勤務先は何度も変わり、私が小学六年の春、岡山の宇野線大元駅の隣にある官舎へと変わった。
 私の家のガラス戸を開ければ駅舎の前の銀杏の木が見えた。その時に初めて銀杏を見た。庭に降りて銀杏の下に佇んでいた。春だったからしっとりとした緑の葉をいっぱいつけていた。ひきつけられるように身をかたくして見上げていた。私はごめんねと言って一枚葉をちぎった。出会いの記念の証拠品としたかったのだ。その葉は押し葉として大切に今も書斎の本に挟んでいる。
 その日から毎日の日課はガラス戸をあけて銀杏の木を眺めることから始まった。
 学区の中学校へ通い始めても帰ってすぐに銀杏の樹の下に行き見上げていた。なんだか活力がわいてくるような感覚があった。
 転勤の多かった家の子供は勉強では劣ることが多かった。私もその例外ではなかった。何カ月も過ぎると親しい友も増え、その学校に慣れて行った。
その間も相変わらず銀杏を眺めることが日常になっていた。私は銀杏に語りかけることが多くなっていった。日記のようにその日にあったこと、うれしかった事、腹が立ったこと、悔しかったことなどを愚痴ることがあった。無論それは皆には秘密にしていた。その頃には銀杏は生活の一部であり家族のような存在だった。
 銀杏とともに育って行ったと言えよう。たからものであったと言えよう。
 特に夕景の銀杏の姿は私の一番の好きな景色として心に残っている。黄金に染まった葉の群れは荘厳な感じがして身が引き締まって見たのだった。蒸気を吐きながら警笛を鳴らし通り過ぎる急行列車と重なれば至福の時間であった。
 その時代には、駅舎の前の広場は子供たちの遊び場として解放されていた。学校を終えて三々五々に集まり銀杏に見守られながら遊びに興じていた。
 銀杏と夕景はそれを見守っていた。
 春には華を付け、秋には紅葉する。銀杏の木には、荘厳、鎮魂、長寿と言われている。銀杏の誕生日は十月二十九日と十一月二十一日と決まっている。大きくなると二十メートルから三十メートルに延びて天を突くようになる。生命力が旺盛で繁殖は銀杏のオスが胞子を何十キロも飛ばしそこに命を育てる。樹齢を重ねると枝が広がり垂れて、その様は乳のようにも見えることから安産伝説にもなっている。植えて実がなるまでには時間がかかるが成長は早く、樹齢が長い事、繁殖力が強く、氷河期にも耐えて残っている。
 それらの事をなにも知らない人でも銀杏の美しさには感嘆することだろう。
 銀杏は別名、公孫樹、鴨脚樹と呼ばれ、原産地は中国だと言う。日本には室町時代に伝わっている。
 私はそれを図書館で調べた。歴史と特徴を知識として持ち相対することが尊敬とか友情には欠かせないと思ったからだった。
 理解を深めることにより尚魅かれることが倍増して行った。
 しとやかさ、潔癖、清楚、純粋と言う言葉がうかんでいた。
私はその銀杏の美しさだけに心を奪われていると言うのではなく、植物、自然の意図する皆のなかに不思議な感情が芽生えていたのだ。その中でより銀杏の存在に関わったという事だった。
 銀杏のおかげか精神的にも落ち着いて勉強にも集中がまして成績は上がっていった。
 そのころ、同じ国鉄職員の少女と顔見知りになった。彼女は少し離れている官舎にいた。
 何時ものように銀杏を見に行くと一人の中学校の制服を着た彼女が銀杏を見上げていた。背は高い方ではないが髪を二つの流れに組んで肩にたらしていた。一年生かなと私は思った。
 彼女はびっくりしたように振り向いた。清楚な感じの人だった。目が少し躊躇しているように思えた。
恥ずかしいしぐさを見せてチョコンと頭を下げた。
 私も軽く頭を下げて、
「銀杏は好きですか」
 と問うた。
「前いたところの駅にも銀杏が大きくそびえていて、なんだか懐かしくて、ここに最近引っ越してきたものですから…」
「どちらからですか」
「山口県の北でした」
「僕も二年前に宮崎からこちらに来てこの銀杏と仲良くなりました」
 彼女は何かおかしそうに笑った。

 そんな会話が初めてだった。彼女は学校の帰りに毎日銀杏を見に来ていた。
「もう学校にはなれたかな」
「まだ、親しい友達はいなくて、ここにきて銀杏と話をしているのです」
「そうだね、なかなか友達は出来なかった、僕らの家族は転勤ばかりあるから・・・」
「でも、何処へ行っても駅には銀杏があって・・・」
「その銀杏を意識し始めたのはここにきてからだよ。官舎の窓からよく見える、見守ってもらっているようなんだ」
「いいな、いいな、羨ましい」
「好きなんだ、そんなに…」
「うん、清潔でおしとやかで,たくましい、見ていると力が湧いてくるような・・・」
 彼女は目をきらきらさせながら言った。
「私は桑田中学校一年B組出席番号二十九の石見早苗です。紹介終わり」
 なんだか恥ずかしそうな雰囲気だった。
「僕は三年A組出席番号十二番の木田敏則です。何か変ではないのかな」
「木田先輩と呼ばせて頂いてもよろしいでしょうか」
「石見後輩と呼んでいいの」
「むろんです、なんでしたら早苗で頂いてもかまいませんが」
「前方よし、後方よし安全確認オーケー」
「発車オーライ」
 私たちは笑い転げていた。
 銀杏が取り持つ縁であった。
 春に華が咲き、夏には枝葉を茂らせ、秋には黄金に色を変え風が舞ってあたり一面に絨毯をひきつめた模様に変えて行った。
 銀杏が育って行くように私たちは色々と話し夢を語り合っていた。
 三年生、来春の高校受験を控えて勉強をしなくてはならない時期だった。
「受験勉強はオーケーですか」
「さあ、釜戸の口をあけて石炭を放り込んで火を付けたところという段階でまだ釜の湯は沸騰していない」
「それは困りましたな、特急列車に切り替えてもらわなくてはならないですね」
「どこも駄目だったら、鉄道学校にでも行き、機関士になり顔を煤だらけにして、親父の跡を継ぐよ」
「先輩、私の夢を語りましょうか、植物学者なんかどうでしょうか」
「ええ、大学へ行くの」
「そのつもりなのですが、先輩が辞めとけと言うのなら辞めます」
「四億五千万年の銀杏の起源までさかのぼるつもりなの」
「あの何回も訪れた氷河期のなかでも生き残ったその生命力の謎に迫ってみたいと思いますが」
「博士か、機関士と言うのは夢が小さすぎるのかもな」
「いいえ、夢に大きいも小さいもないと思いますが、先輩」
「好きな事をして銀杏のようにのびのびと暮らせたらいいかなとも思う」
「私は、平凡に女としての幸せを考えたりもします。好きな人と一緒になり、子供を生み、育てる、そんな一家団欒もいいかなと言う事も考えます。でも、今からそう考えるとそこで止まってしまうのではないかとも思います、だからとてつもない望みを抱いて夢を見てもいいかなと・・・」
「うちのおやじは何時も言ってる、夢に大きさの差はない、その夢の実現に努力する過程が大切なのだと」
「そうか、家庭か、家庭が壊れていたら何もかも無くなってしまう」
「その家庭ではなくて・・・」
「分かっているわ、少し息苦しいから、脱線してみただけ」
「銀杏は何を考えているのだろうか」
「何よ、それって・・・」
「荘厳、鎮魂、長寿、」
「なによ、それ・・・」
「銀杏の花言葉」
「そうなのだ、そういえば何か納得が出来る」
 そんな二人の会話は尽きなかった。銀杏の葉が一枚二枚と散って行った。少し風が出たようだった。

 友達の妹が後輩と同じクラスで、その人の情報によると勉強はクラスでもトップクラスであるとのことだった。話をしていても機転の聞いた明朗な言葉が次々と出てくるし時には優しさとユーモアが含まれて和やかに話せることが多かった。それは頭の良さを現わしていたのだった。
 銀杏の葉が総て塵になり駅員が集めて処理している姿を見ることが多くなっていた。私は気になりながらも教科書を開くことが多くなっていた。
「勉強が出来ることで人生の勝敗は決まらない。喜びは与えることから始まる。幸せの基は自分の心の中にある。あの銀杏のようにすくすくと育つことだ。それには雨や風に耐える精神を養わなくてはならない。そこに少し勉強と言う打算が必要なものだ。勉強はその程度でいい、どんな生き方をしても悔いは残る。その悔いが人間を成長させるものだ。悔いを喜びに変えるのは、たとえばあの銀杏のように炎天下で日蔭を作り人様に安らぎを与える思いがありゆとりなのだ。それには勉強をして真実を見極める力を養う必要がいる。これから沢山の人と出会いその事に気づけばおのずと幸せと言うものが何かを理解出来る様になる」
 父親はそのように言って慰めてくれていた。
 勉強とは真実を知ることなのだと教えられた。
 煤だらけになって機関車を走らす父親も、単純な生き方のなかに人としての思いを持ち、考えを構築している事を知った。
 父親も銀杏を眺めていたのだ。

「少し気晴らしをしませんか」
 外から私の部屋の戸を叩いて後輩が声をかけた。
 私はその話に乗った。そして玄関に回り外に出て行った。
「もうすっかり葉を落として、男の荒々しさに変わっている」
 後輩はそういいながら銀杏の下へ向かっていた。
 男の荒々しさ、そんな表現もあるんだと私は感心した。樹の下から見上げた。其の裸木は精悍そのものだった。
「はかどっていますか」
「なにが・・・」
「空の雲にも色々の種類があり役割が違うと言う事、人間も同じなのだなと思うのですよ」
「それって慰めくれているわけなのかな」
「いいえ励ましているのです。積乱雲になるように頑張ってほしいのです」
「その積乱雲は雲でも一番地上と近いのではなかったかな」
「無理をしないってこと、人間にも役割があるってことです。集中力とかなにもかも解放して自然の営みを感じることが時には必要なことなのだと言う事です」
「つまり、今のままでいいという事なの」
「鉄道学校に入って機関士になることもりっぱな選択だって事、あわてて詰め込んでも済めば忘れることが多いいこと、それより好きな事を心に蓄えることの方に価値があるってことです。これは父の言葉の受け売りなのです。私が勉強ばかりするものだからそう言ってもっと遊べと言っているのです。遊ぶ時間をどのように使うかで勉強より違ったものが身につくと言う事らしいのです」
 彼女はにこにこと笑いながら少しからかうように言った。
「思春期の後輩に青春期の僕が教えられている。つまり今いくら詰め込んでも役に立たないと言う事なのかな」
「でも努力する過程、あの家庭ではなく、その時間の事なのですが、結果を上回るという現実があるってことですわ」
「何か難しい事を言って僕を煙に巻くと言う作戦かな」
「分かったぁ、私は一人ぼっち、遊び相手が欲しくて・・・。と言う事もありますが少し休憩の時間が必要な時もあります」
「親切なんだ、ところで何か僕に言いたいんだろう」
 後輩の素振りからそんな雰囲気が漂っていた。
 後輩は言おうか言うまいか悩んでか、銀杏の木を一回りして言った。
「春になったら、私の銀杏を見てほしい、ここの銀杏は先輩の物ですが、山口の銀杏は私と共に育ったもので私の物なのです。だから、一緒に行って観てほしい」
 私をじっと見つめて真剣な表情で言った。
「そんな事を言っていいの、心配するよ」
「私は何も心配していないもん。両親を説得する準備が整っているから言っているのです」
「それって僕には・・・」
「だから、プレッシャーを感じないように誘導したのです。何をしてもそんなに人間の差なんか出来ないってこと、やる時にはやるという心構えは皆持っています。そんな時間を作ってほしいと言う事ですが」
「分かった。今から何か楽しみが湧いてきた。春か…」
「新しい青葉が一杯に繁り、きっと先輩を歓迎し門出を祝ってくれますわ」
 何か、色々と思いめぐらすことや受験の事もそれに比べたら小さいように思えてきていた。

     3

 夕暮れが忍びこんでいた。路地の街灯が明りを広げていた。
「祖父の書いたものを持ってきました。よろしかったら読んでいただけませんか」
 そう言ってコピーしたものを封筒からだしてテーブルの上に置いた。
「いいんですか」
「はい、きっと喜んでくれると思います。あの銀杏で出会う、偶然の奇跡を、いいえ、そうではなく運命と言えばいいのでしょうか、一期一会ではなく二人を結びつけたのかも知れません。いいえ、これは私一人の思いなのかも知れませんが…」
 少し頬をあからめて言った。
「分かりました、これを読むとより深く理解が出来ると言う事なのですね」
「はい」
 その声は小さく消え入るようだった。
 運命と言う悪戯は時に偶然を装って出会いを演出する、悠介はそう思った。
 悠介は今日、銀杏を見に行く計画もなかった。秋の佇まいを求めて被写体を探して車を走らせたのだった。高梁川を登り紅葉の名所の豪渓に向かったのだ。が、そこにはまだ秋は浅く葉を赤く染めていなかった。それから足守に出て岡山空港へと走った。空港の近辺には県や市の施設が沢山出来ていてのどかな空間はなくなっていた。発着する飛行機の騒音だけが空に溶け込み消えていた。
 銀杏並木のなかを走っていた。何処をどう走ったか覚えていない、が、気がついた時には大元駅に停車していた。幼い頃過ごしたこの場所は心のふるさとのように思われて時に足を運んで銀杏に逢いに来ていた。
雨は霧雨のように降っていた。ワイパーを動かすとそこから銀杏を見つめる少女が見えた。
 そして、出会った。
 銀杏が結んだ縁と言おうか、これは一度きりでないという予感がしていた。

「これからどうしますか、予定はあるのですか」
 悠介は優しく問うた。
「ただ夢中で、一刻も早く祖父の思い出の銀杏が見たくて来たものですから、なにも、ごめんなさい御迷惑でしょうか」
 幾花は戸惑いを見せて心配げに言った。
「倉敷は初めての様なので、案内させてください。これも何かの縁と言うものでしょう。倉敷のいい思い出を東京に持って帰ってほしいということもありますので…」
 悠介は母と二人暮らしをしていた。祖父が残した財産で暮らし代々伝えられている家作に住んでいた。その一部を喫茶店にして時間に拘束されない日々を好きなことをして暮らしていた。悠介の母は倉敷の伝統的な織物を織って気ままに暮らしていた。
「カタンカタンと言う音が聞こえますか、隣に母の仕事場があって、そこで織りものをしています。その音なのです。母と一緒にどこかで夕食をとりますか」
「ええ、そこまで…。いいのでしょうか、甘えさせてもらっても・・・」
「一期一会ではないと言ったのはあなたですよ。母も私も人と出会う事をなにより大切にして生きてきましたから、何も気兼ねなく甘えてください」
「厚かましさにもっと甘えさせてもらえれば、祖母と母も一緒に連れてくればよかったと思っています」
 悠介は幾花の現代的な考えに不快なものは感じなかった。
「母もそれを歓迎するでしょう。人が大好きな人ですから。一日中機の前で寡黙に縦糸に横糸の竿を流しているのですから、そんな機会を欲しがっています…」
「お会いしたい、ああなんと、今日お会いしたばっかりなのに、こんなことを、笑わないでください、本当の私は世間知らずの物静かな女性なのに…」
「分かっています、これでも世間を見つめて生きていますから。少し待ってください、母に用意をさせますから」
 そう言って悠介は奥に入って行った。
 幾花は腰掛から離れて無造作に飾られた写真に見入っていた。一枚の写真の前に佇み食い入るように凝視していた。

4  

 あの時から、後輩の言葉で肩の荷が下りたように受験勉強に取り組むことが出来ていた。
 銀杏が葉を散らし幹と枝の裸のあり様に自然の摂理を感じ、人間もその自然の一員であることを認識したのはその時からだった。所詮人間はなにも持たない裸なのだ、それゆえに身につけなくてはならない真実を知ることの重要性を考えるようになっていた。
 後輩とは寒風が流れる銀杏の下でかじかんだ手に息を吐きかけながら勉強の間の時間に話すこともあった。その頃後輩は卓球部に入りピン球をたたいていて頻繁には会えなかった。
「はかどっていますか、勉強なんか飛んでくる問題をラケットで返す、そんなもんでいいのではないかしら…」
 そう簡単に結論を出していた。
「長門の町は寒かったのかな」
「それゃあ、日本海の海風が吹き付けていて、でも私はその寒さが好きだった。寒かったけれど心をしゃんとさせてくれ、そんな中色々と考えることができたから・・・」
 後輩は胸を張って言った。
「後輩は強いね、どんな境涯にも負ける事はないだろうね」
「でも今どのようにしょうかと、結論を出すべきかどうか…」
「ほう、そんなこともあるんだ」
「笑っているの、おかしかったらどうぞ」
「今日は何かあったの…」
「今日だけでなく毎日です、・・・少し早いかもしれないけど、将来の事、これから先輩とどのように付き合えばいいのかとか、その事を両親に相談すべきなのかとか…」
 その顔は今までにはなかった表情をしていた。
「そんなこと、まだ中一には早くない」
「私、真剣なのですけど」
 ぷっと頬を膨らませて睨んでいた。
「それって、乙女の感傷なの」
「真剣に聞いてください。私は機関士の嫁になりたいの。それを両親は許してくれるかと言う問題なの」
「て、ことは・・・」
「そう、全部言わさないで・・・」
「告白なの」
「そう、恥をしのんでの告白なの。分かって、私の気持ちを」
 その時中一の後輩に愛の告白をされたのだった。幼かったとは言え後輩にここまで言わせる責任を感じていた。その時まで後輩に対しては好きとかと言う感情はなく友達としての友情に近いものを感じていたのだった。
「それに僕はどのように応えればいいのかな」
 私は深く考えなくそう言っていた。
「今日から、私を機関士の嫁にする事を考えてください」
「いいの、それで」
 後輩は笑って、
「このように事を言ってみたかったの。びっくりした…これは先輩をリラックスさせるため…と言うよりプレッシャーなのかな…」
 と言った。
「やってくれたね。これは一つの願望なのだが、あるかわいい女の子がいて、その子を嫁にして幸せな家庭を作り子供を育ててと言う夢を見ることもあった。その子がもっと大きくなったら結婚を申し込むことも考えていた。だが、まだこれから色々としなくてはならないし・・・と言う夢は何時も持っていた」
「なんだ、また、冗談を言って」
 後輩は少し涙ぐんでいた。
「ああ、春にはどんな夢が咲くのだろうか…」
「馬鹿、いいところなのに」
「銀杏がいっぱいに花を付けて、雀たちがそのなかで騒ぎを回って、僕も花を咲かせていくけど・・・いっとくけど機関士にはならないよ。勉強しながら考えていたんだ、映画の仕事がしたいと・・・」
「ああ、大きい夢だ。私は先輩が作ったその映画を何回も何回も見ることにする」
「ごめん、それまで待っていて欲しい」
「待つ、待つ、決まってるじゃないの。私は機関士の・・・それでもよかったのに…分かってくれていたんだ、私の気持ち、少し早いかも知れないけれどこの銀杏に誓ってほしいな。ここに転勤をした両親に感謝したいわ」
「いいよ。出会い、後輩に励まされ、友情と尊敬が生まれた事をこの銀杏に誓います」
 「やったー。私も誓います。先輩の言った通りに従います。二人は銀杏のようにすくすくと育つように成長し立派な成人になって幸せになります」
 私たちは笑いながら見つめあったのだった。
 まだ、幼い恋だった、が何か満足感が心を満たしていた。
 
  日が巡り、春が来た。
私は普通科高校へ進学が決まった。 国鉄家族に与えられていた半額の家族切符を手にして後輩の育った長門への銀杏見物へ出かけたのだった。
 春の日差しはあくまで優しく二人を包んでくれていた。
  そこが歌人の千葉みすずの故郷であることを知った。
  後輩が見続けていた銀杏は海辺に聳えていて日本海に沈む太陽が真っ赤に染めて荘厳な感じを見せていた。それはかなしいほど美しかった。
「早苗、これは自然が作りだした偉大な芸術なのだ」
 私は胸が詰まりながら叫んでいた。
「え、今早苗って言った」
「ああ言った。この夕日は二人のものだ、二人だけのものだ」
「そうよ、これは敏則と早苗の夕日だ」
 二人は沈みゆき海に溶け込んでいく夕焼けをじっと見つめていた。

 運命と言う悪戯があるならば一秒の違いで簡単に破綻する、がその一秒のずれが新しい出会いを生んでくれる。それがまた奇跡を作ることになるのだ。生きていくなかで何万という時間のずれで現実が変わってくる。それは人間には分からないが定められた方程式のように巡るものかも知れない。そんな偶然の奇跡のなかで生きているといえまいか。

     5

「こんな別嬪さんを何処で釣り上げて来たの」
 それが悠介の母の第一声だった。
 それは悠介が母のしずかを幾花に紹介した後に出た言葉だった。このような砕けた表現をする事は心を許しているという表れだった。
「申し訳ありません、今日出会ってここまで付いてきて、はしたない事は重々承知しています。こんな事は初めてで私も戸惑っています。厚かましい行いはお許しください」
 幾花は深く腰を折って言った。
「この人がこんなきれいな人を紹介するから、こちらも戸惑って、何かよからぬ事をたくらんでと思ったの。だってね、この人が今まで紹介した人達はおかしな人ばかりだったから、絵描き、物書き、演劇、詩人、皆、半端な崩れだったの。だからびっくりしたのもある。と言う私の友達もおかしな連中だけどね」
 しずかは多弁になっていた。と言う事は気を許しているという事だった。
「ひとつお聞きしたいのですが、崩れとは…」
「半端者と言う事、それぞれがそれぞれのしたいことにのめり込み過ぎてまるで結果が現われない、また、その結果など最初から目的ではないと言う厄介な人達の事なの」
 いいかえれば、自由に生きている人達がしずかと悠介の友達なのだと言う事なのだ。このような環境にいる人達とは幾花は初めて会ったように思った。
「私は常にこの人に言ってきたの、どのような生き方をしても構わないけれど、夢のない生き方は絶対にするな、また、夢のない人とは付き合うなと。今少し後悔しているの、集まる連中は夢だけは持っているけれど実現に努力が少ない、獏の様な人達ばかりになっている事だったの。そんな不安な時に幾花さんを紹介されて、少し昂奮しているってとこなのかな」
 幾花は聞きいっていた。何か自分に足りない物が注入されているように感じていた。
「この人の話はダムの堰が外れたように流れ出すから、このへんで行こうか」
 幾花は今までの世界より別の世界にいるような感じを受けていた。この出会いも祖父が作ってくれていることに感謝したいと思った。
「幾花さん、倉敷で変な母子に拉致されている、連絡しなくてはいけないのではないかしら」
「そうでした。すっかり忘れていて…」
 幾花は携帯で東京の母に電話をした。通話の途中で、
「変わって」と言って携帯をしずかが取った。
「銀杏の木の下で、衝突、ああいいえ、話が弾んで今倉敷に来ています。私は倉敷織りの職人の可能しずかと申します。息子は悠介といいまして風来坊、ああいいえ、昔は医者をしていまして今は小さな喫茶店をやっております。これは御安心していただくための口上、いいえ、いいわけですが、怪しいものではございません。大切にお預かりをさせて頂きますのでご了承ください」
 このようにこころ乱した母を見たことがないと悠介は思った。その後少しのやりとりがあって幾花に変わった。
「はい、はい、分かりました」
 と言って携帯を閉じた。顔は満面に花を散らしていたが、恥じらいと安心感がまじりあっているものだった。
    
「今橋辺りで目と目が合って、中橋渡って二人の仲は、そぞろ歩いて高砂橋へ」
現在、倉敷を流れる倉敷川に架かる三つの石橋を唄ったものである。
今や昔、江戸時代備中で栄えた商人の村の名残を残す倉敷を、観光として訪れる人は後を絶たない。
また「チボリ公園」の開園でより多くの人が足を向けるようになっていた。和洋のバランスがこの地にあった。が、今はそのチボリも経営不振で閉園をし、市民の公園や商業施設に変わった。

静寂の闇が朝焼けの中に溶け込むと、浮かび上がってくる向山。白い靄のかかった家並みに挟まれた汐入り川の流れ。川面には柳がぼんやりと影を映し、露の雫がそれを揺らしている。常夜灯が明け行く中を小さな灯りをおとしている。北にある小高い鶴形山の観竜寺から明け六の鐘が鳴りひびき風の中へ拡がる。黒く濡れた石畳が左右に延びて太鼓橋を繋ぎ、細い路地が商家の戸口を結んでいる。屋根瓦がキラキラと明かりを跳ね返しながら、緑から青、透明の景色へと色を変えて村は日々の暮らしを始める。瓦と瓦とを漆喰で貼りつけた滑子壁、江戸職人の精緻な業の格子戸、流れに沿って建てられた蔵屋敷。その下の石垣を洗う汐入り川の波の華。
倉敷村の風情をこんな形容で語られる。

 悠介は鷲羽山のホテルまでの道のりのなかで倉敷の概要を話した。
ラウンジからの眺めは瀬戸大橋が静まり返った瀬戸の海のなかで浮かび上がり、水島コンビナートの空が燃えていた。
 その光景を目の前にして幾花は今まで感じたことのない身震いをしていた。少しの心の変化がこうも見るもの聞くものを美しく見せるものなのかをざわめきのなかで感じていた。
「この美しい自然を愚かにも人間は壊してしまった。私は瀬戸大橋を愚か橋と思っている。自然が作った景観に人間が挑んでも、その美しさより優れた美など作れるものではない。その傲岸な考えが人間を絶滅に向かわせている」
 しずかがころりと言葉を転がせた。
「大元駅の前の銀杏の木で出会ったの、そうなの。つまらない話だけど、東京の学校を終えてこの人の父親を連れて帰ったの、両親に挨拶したらしかられて、家出して住んでいたことがある。銀杏には毎日あっていたわ。
この子が生まれてその木と共に成長していった。この人の父親は岩石に取りつかれていて、よく世界の石を調べに飛び回っていたわ。私はその資金集めに働いた。この人の親は地球の生成の研究をしていたの。この子が中学校のときに、出て行ったきり帰らなくなった、世界の何処で何があったのかは分からない。私はこの子を連れて倉敷に帰った。あの古い家に住む事を許されて、今も時折あの人の事を思い出すだけ、あきらめたくないけどこの現実を否定できないことも、そんな日々のなかで自然に現実を受け付けるようになった。私は伝統の倉敷織りの中に色々な人の思いを織りこんでいるの。この子は医者になったけれどそんな人さまの命を弄ぶことの出来る子ではないことが分かっていたけれど反対はしなかった。人間は自然の中で生きて死んでいく、その事に気づいたのか、総てを捨てて今があるってこと。ごめんね。これは愚痴でなく抗議なの、そのように捉えてね。少し長かったかしら、何時も機の前で人と話すこともないから、人に会うとうれしくて話してしまう癖、悪かったと何時も後悔…」
 しずかはまたやったと言う風に頭を下げていた。
「ありがとうございます。何もかも新鮮で、その驚きで聞かせて頂きました。悠介さんにも言ったのですけれど祖母と母も連れてくればよかったと思っています。こんな素敵なことにぜひ参加させたいと思っての事です。こんなに感動したのは初めて、何か夢を見ているような感じです。厚かましくてすいません」
 幾花は世間の広さと人の情けに酔いしれたような感覚を持った。体が熱く震えていた。
「お袋が話し出したら止まりませんよ。真剣に聞く人には全く熱弁を機関銃のように打ちまくりますから。おふくろさん、もう弾きれにしない」
 悠介が口をいれて母をいさめた。
「そうね、ごめんね、何時もこの人の連れに散々出来もしない夢の相手をさせられるものだから。ところで私の織った倉敷織りを見てみたいと思わない」
「おふくろさん、押し付けたら駄目だよ」
「いいえ、私も見せていただきたいと思っていました」
「幾花さん、ありがとうね。久しぶりにまっとうな人間にあったという気分、今日はいい日ね、感謝しなくては」
 瀬戸大橋の上にライトの流れが続いていた。
 自然も流れ続き人間もその流れの中で様々な命を繰り返している事を思った。

 自然のいたずらか、運命と言うものがあるとしたらその小さな勘違いが、人間の出会いと未来を作ることの不思議を今生きている人達は知っているのだろうか、そこには深遠な偶然のなかに奇跡が存在している事を知らないだろう。

 悠介はあまり語らず、母と幾花の語らいを聞いていた。
 食事が済んで倉敷に帰っても、幾花はしずかの仕事場に入り込んで出てこようとはしなかった。
 悠介は雨の中で銀杏を見つめる幾花の写真を現像していた。
 悠介は三十の声がすぐそばまできていた。父がなぜ石に拘ったかを考えて来た。それは父のロマンであり太陽系の形成と地球の生成との関係を解くために石層を求めての旅であった事を知った。
 医学の世界から退いたのも、ロマンと言う一つの言葉の意味を理解したからだった。
 人は生きるためにはロマンがなくてはならない。
 生きることが即ちロマンなのだと思ったからだった。
     6

 私は忙しかった。入学式、学級分け、部活、あわただしく過ぎていた。体を鍛えるために剣道部に入った。事業が終わると部室できかえ、武具をつけ竹刀を持って運動場を何回も走らされ、体育館に帰るとうさぎ跳びと言う過酷な訓練が待っていて、それから素振りの形とりが待っている。帰るのがやっとで着替えもせずに横になりうたた寝をして体を休めるのが日課だった。
 ガラス戸がたたかれ早苗が入ってきて見下ろしていた。最近は親が認めた出入り自由と言うところだった。
「余裕ですか、伸びているのですか、大変にお疲れの様子ですが…」
 と言いながらその体制は崩さなかった。
「体がしびれているんだ、動けない」
 泣き言を言うと、
「鍛練と言うのはそんなものです。体の極限まで挑戦して、その繰り返しでさらに鍛える。それが武道の精神を作るものです」
「今日は勘弁してほしい」
「スタートオーケー、はいカット」
「動けない」
「これからの人生を考えると今鍛えてなくては使い物にならないでしょう」
「早苗によって心はいやされるが、足腰は効かない」
「それは心だけでなく足腰の分野に治療をしてほしいという事ですか」
「すまんがたのみたい」
「これでも私は乙女です、男性の肌に触れると言う事は大変な勇気と決断がいる事ですが…」
「そこを何とか」
「こう見えても私は十四歳の中二の女性です。それをしてほしいのなら、この前のように銀杏の木に二人の誓いをしてきてからにしてください」
「そんなこと、早苗の育った長門の夕日に向かって叫んだ事を銀杏に叫んだ」
「と言う事はあの夕陽は敏則と早苗のものだと言ったのですね」
「そうだ」
「なにの下心もなくということでしょうか」
「あるわけはない」
「と言う事は、下心は持っているが隠しているという事になりませんか」
「そんな不純な考えはない」
「と言う事は私に魅力がないという事になり侮辱をしているという事になりますが」
「どうしろと言うのだ」
「降参したといいなさい。足をもんであげますから」
「それは乙女の心を傷つけるのではないの」
「いいえ、正当に行為です」
「ええ、いいの」
「スケベーな考えは許しません、が、これは治療と言うのなら別なことです」
「なんだかよくなってきた」
「逃げてはいけません、施術はいたします、が、・・・
ああ、疲れる、これも敏君が映画監督になるといい出したからなの」
「それと何かつながるの」
「だってそうでしょう、機関士の妻になるのなら今までの勉強でも良かったけれど、映画監督の嫁になると言う事とは少し違わない」
「いいよ、今のままで」
「だめ、二人でパーティなどに出席しなくてはならない時もある事でしょうし、その時のマナーをとか、付き合う人達が少しわがままな人が多くなりとか、その準備が大変なの」
「僕の進路が早苗に迷惑をかけているというわけ」
「それに監督はどのような料理が向いているのかとか、健康管理は嫁の役割とか・・・それよりなによ
り、なによりきれいな女優さんたちと仕事をするのだから浮気をされる可能性が沢山ある、そのためにはその人たちに負けない魅力的な女性になっていなくてはならないとか・・・」
「今日はおかしいよ、変だ」
「私は賢婦を目指しているの、私がきれいになればうれしいでしょう」
「今のままでもいいよ」
「その考えは私を蔑視し、向上心を阻害するものです・・・私は機関士の妻でもよかったのに、敏君のそっくりの子を生んで幸せな家庭を作る事、それが女性の幸せだと思っていたのに・・・それを否定する事って人権を侵害しているとは思わないのですか」
「今の早苗はかわいいし、頭は良いし・・・」
「今の私の変化には気がついていないでしょう、敏君がチラチラ見ているこの胸だって大きくなっているし・・・」
「ええ・・・」
「知っているの、それって嬉しいことなのだよ、心配してみてくれるのではなく、女性として見られるって・・・」
「ごめん・・・うれしいんだ」
「女性の心も知らずに脚本が書けるのでしようか、そのためにはお手伝いをする心の整理もしなくてはならないし、見たい時には見たいとはっきりと言って」
「そんなに早苗を追いこんでいたとは考えていなかったよ、でも、そこまで考えてくれるってことはうれしいような・・・」
「あの出会いから一年、私は成長した、胸ばかりではなく、世のなかの動きもしっかりと見てきました、男性の生理も、女性の生理も見てきたの、それもこれも敏君の役に立ちたいと言う事なの。もう大丈夫、敏君の要求には総て応えられると思うの・・・。
ああ、やはり今日の私はおかしい、イライラしている、これは女性の生理なのかも知れない。足を出して、揉んであげるから」
「もういいよ」
「だめ、一度言った事は守ってください、私は揉んで楽になって貰いたいの、これを否定すると言う事は私の親切を無視し拒否することになるの。それは女性を侮辱することになるのですよ。…何ちゃって、私も敏君の体に触りたい言う要求があるってこと、もう一年になって成長しているのに手も握ってくれない、私に魅力がないのかと心配する気持ちを忘れているってこと…」
「ごめん、スケベー心は男子しかないと思っていて、嫌われるのじゃないかと…」
「女心も男心も分からなくて映画を作れると思っていたの、女性は次の時代に遺伝子を遺すために男性より性欲は強いものなの、心の繋がりだけではなく・・・ああ、どうかしている・・・私の中の女が叫んでいる、これは理性では抑えられない部分もあり・・・。だからと言って敏君が行動を起こしてくれないと何も起こらないと言う側面を持っている、女は誘惑の眼差しを向けるだけ、そこで男がむらむらとして…。もう、中二になるのじゃなかった、教室ではそんな話ばっか…。だけどこれは大人になる重要な過程なのだと理解している。分かる、分かっていますか…女の子のこうした悩みが・・・」
「ああ、なんとなく」
「女の方が早くそこにたどり着くのよ。・・・これも勉強ね。たまにはいいでしょう、だからって私は敏君といるだけで満足なの、こうしてなにもかも言える二人で何時までもいたいと言う事なの」
「考えてみる、本能を大切にして、制御する理性を育てることも大切だと言う事は分かった」
「だったら、私の手を握って見て、そして、変化を感じてみて教えてほしいな」
 そんな会話は日常になっていったが手を握っているだけでとても幸せな時間を共有することだけで満足していた。
 夏休みには家族切符で大船撮影所に見学に行ったり、京都の太秦へ撮影を見に行ったり二人の時間を楽しいものにしたのだった。
 木下恵介監督の「野菊のごとき君なりき」を二人で見て泣いた。「風と共に去りぬ」の壮大な仕組みと波乱万丈なストリーには驚愕し、「ローマの休日」の愛の行方には何が必要なのかを教えられた。
 毎日銀杏を眺め何かを感じ、勉強と剣道と早苗との楽しい日々のなかで目的に向かって進んでいた。
 そんな中、早苗の成長は私を戸惑わせることがあったが、それも楽しく見つめていた。ますます女らしくなり美しく輝いていた。
 早苗の口癖は、
「私は敏君のために大きく育ち、勉強をして教養を深め、輝いている女になる、それが私の人生なの」
 と言い張ってその姿勢を崩す事はなかった。
 二人の仲は手をつなぐだけでそれいがいには発展しなかった。それは二人の会話ですれすれのところまで話が及んでも、
「私と結婚してからにして」と言う事で占められていた。
 暇を見つけては家族切符で遠出をして過ごした。そのほかの時間は映画の観賞だった。
そんな日々を過ごして、私は希望する大学に合格した。
そのころ、大学の学生寮に入るか、県人会が組織する学生向けの下宿もあったが、私は父の国鉄仲間の家で生活をした。父の顔は煤炭まみれになり学費を送り続けてくれた。経済発展する東京の土地は掘り起こされていたのでアルバイトでスコップを握りモッコを担いで足らずを賄っていた。
早苗からは毎日手紙が寄せられていた。その文言のなかには私の事だけを考えてほしいという事が書かれていた。
早苗は私の跡を追うように同じ大学へ入ってきて、銀杏並木のキャンパスを歩いたものだった。二人で将来の事を語り明かす日々が続いていた。そんな変わらない日々が過ぎていく中で、私は早苗を守り幸せにすることを誓った。その誓いは二人であの出会いをくれた銀杏を見に帰った時だった。
「純愛ごっこもいいね、何時までも新鮮さをなくさない。愛は錯覚から生まれると言うけど、私の愛は真実なもの、真実は永遠に変わらない。言っとくけれど私が欲しくなったらそう言って、心の準備だけは出来ているから」
 早苗は平然と言ったがそれは本心ではなく、誓いの言葉に対する責任のとり方であったろうと思った。
 私に征服欲がなかったわけではなかったが、その事で何かが変わることの方が怖かった。
銀杏はその真実を見せるようにすくすくと大きくそびえていた。
高校と大学では剣道を続けていたその甲斐があって過酷な労働を強いられる映画会社に勤めることになった。
脚本部で毎日毎日プロットを書きなぐる日々であった。早苗は教師として故郷で教鞭をとることになった。一緒がいいと言ったが国鉄職員の家族が大学まで進ませると言う経済的な環境はまだ整備されていなかった。両親の傍で暮らすことが今まで育ててくれた謝恩の意味もあって心を私の傍において帰郷して行った。
二人はわかれて生活をする事になったが、その方が自己確立には役に立った。

人は何かに縋り安らぎを求めるが、それは依存が成長を遅らせるものだと気づくのは後になる。

     7

 しずかと幾花がなにを話しているのか、笑い声が続いていた。
 悠介はカウンターの椅子に腰を掛け今日一日の出来ごとを思い返していた。趣味と道楽でそこに夢があるのか、母の言う夢のない男になっているのではないのか。医師を辞めるときにもなにも言わず、「いいのではない」と言っただけで喫茶店を開く時にも、「夢のたまり場にしなさい」と言っただけだった。この古い家と遺産があって暮らしに困らない生活の中に、なにも生産性のない生き方にロマンがあるのかと言う疑問がわいていた事は確かだった。時の流れの中の一瞬を切り撮ると言うカメラに興味を持ったのは、時間、その不確かな条理に対して興味を持ったのだった、一秒、いや万分の一のずれが求めていたものが撮れないと言う緊迫感に酔うこともあった。喫茶店を留守にする時には客には鍵のある場所を知らせていて自分で淹れて飲んでくれと言っていた。医師になれなかったのは人間としての死生観、人は死ぬものだと言う諦観がなく死を恐れていたからなのかも知れないと思う。また命を弄ぶ現代の医療に不満があったことも確かであった。
「暗闇のなかに見なくてはならない物がある」
そう哲学的に言った人もいた。極め付きは、
「人生に絶望したら恋愛をしろ」だった。
 様々な心が交錯していて考えがまとまらなかった。
 なぜあの銀杏に拘ったのか、銀杏を何時も見て育っていた。同じように大きく育った。実は銀杏に父の影を見ていたのではないのか、この地球に生物が生まれ、隕石の衝突により雨が続き、海が出来、地域変動でひっくり返る、その生物は炭酸ガスを餌にして酸素を吐き出して、自らが住みよい環境を作った。酸素は太陽の光と交合してオゾンと言う幕を作りより生物に取って住みよい環境を作りだした。その地球の生成に、化石として残るものからより正確に確認しようとした父のロマンは果てしなく大きなものに今は思えるのだった。では自分には何がある、なにをすればいいのか。
「人は山に登り天と地の稜線を見つめ続けて人間とは人間とはと問い続けた」
「深い闇を見つめ続けて生きる意味を問い続けた」
「定めと言う流れがあるとしたら、流される事を選ぶか自らが流れる事を選ぶか、人間はその選択すらできていない」
「まず愛せ、愛されることとそれが同義語であることに気がついた時にその愛は成就するものだ」
「なにをどのように生きても無駄と言う事はない、無駄と思った時には大いなる錯覚のなかにいることになる」そんな言葉が逡巡していた。
 悠介は冷めたコーヒーを口に含んだ、なに、という感覚を持った。今までの味ではないように思えた。
心に変化が生まれていることに気がついたのだ。
 悠介は現像した銀杏の前にたたずむ幾花の存在を改めて思った。

それにしても今夜の宿はどうするのだろうかを思った。母の事だから泊らせるつもりなのだと、気に入った人には宿泊を勧めていたのでそう思った。
「なにを悩んでいるの、あなたの父親と私は絶望のなかにいて恋をした。ね、そんなことを幾花さんと話して盛りあがったの」
 しずかは優しい目線を投げ少し心配そうに言った。
「息子の心も読めない母親だと思っているでしょう。そう思われている方が楽だけど、私は縦糸を男にし、横糸を女にして仕事をしているの、だから分かることもある。そんな時救ってくれるのが愛と言う心の動きなの。愛することを知らない人にロマンなんか微笑まない、さあどうする…」
「と言っても誰でもいいと言うわけにはいかないし…」
「情けないわね。今日雨の中で銀杏という仲人がいてあなたと幾花さんが出会ったという偶然は奇跡なの、その奇跡に賭けてみるのも男のロマンだと言っている。恋愛は双方の錯覚から始まることが多いいけれど、こんな奇跡は、あなたの父が言っていた隕石の衝突と同じでめったにあるものじゃない。さあ、考えてみよう、医師の国家試験より難しい事は確かかもしれないけれど…」
 しずかは独走していた。幾花は俯いていた。
 母の言う事には納得がいった。母は自分の意見を押し付けるのではなく方法を語っているのだ。
「僕だけの気持でそれはかなう事ではないことだし…」
 悠介は母の前では小さくなるしかなかった。
「幾花さんとは話したわ、最近の女性としては申し分なし、後はあなたがどう仕掛けるかね」
「私もお母様の言う事には納得が出来ます、なぜあそこで悠介さんに会えたのかは、偶然ではなく祖父から繋がっているのです」
「ええ、それはどういう…」
 幾花はカウンターの壁にかかる一枚の写真を指さしていた。それは何年か前にあの銀杏を撮ったものだった。
「よく見てください、銀杏の影に一人の歳をとった人が見えませんか」
「ええ、気がつきませんでしたがそう言えば映っています」
「それが祖父なのです。亡くなる前にそこを訪れているのです。何かの因縁を感じられませんか」
「はい、そこまで、よく考えて解答してください。正解は二人の心の中にあります」
 しずかはそう言って幸せそうな笑いを浮かべていった。
「言っとくけれど、幾花さんと一緒に東京へ行く約束をしたのよ。後は頼んだわよ」
 それだけ言って仕事場へ帰って行った。
「ご迷惑ではありませんでしたか、何時もああなんです。仕切りたがりやと言うのでしょうか・・・」
「いいえ、私の住む世界とは違いますが、言葉が私の心に突き刺さってきました。それは真実を述べられているからなのです。とても・・・」
「熱いものでも淹れましょうか」
「はい、いただきます、許してくださいましたらお母さんを東京へお招きしたいと思いまして」
「あの人はもう行く気です。節度は十分持っていますから心配はしていません、だけど、人間が大好きで気に入った人には喋りまくりますから」
「明るくて、機知に富んでいて、心が広くて、羨ましいです。素晴らしいお母さんですね」
「この町で育って、東京の大学へ通って、アメリカに留学して、海外派遣の仕事でインドへ、そこで父と知り合い、父を連れてここに帰ってきて、勘当同然になって、大元駅に近いところで生活をし、私が生まれました。辛いことやかなしいことも沢山あったことでしょうが、そんな事を気にする人ではありませんでした。むしろその挑戦を受けて立ってきた人でした。私が生まれて何年か後に勘当が解かれて倉敷に帰ったのは、父が行方不明になってからでした。帰ってすぐになにを思ったのか納戸においていた機織り機を出して見様見真似で織り始めていました。いつの間にか倉敷織りのしずかさんと言うほどの人になっていました。不思議な方です。私はそんな母に育てられ人は自由に生きてこそ歴史が作れるのだと教えられました。医師が私に向いていない事は承知でも止めませんでした。帰ってくる事を信じていたようでした。強い人です、温かい人です、あの人の子供であることが誇りになっていました。お聞きの通り、夢のない人間にはなるな、それが私への躾でそのほか何をしても自由に遊ばせてくれました」
 悠介は淡々と、しっかりした口調で言った。
 入れたてのコーヒーを幾花の前に置いた。
「お母さんも言っていました、何もないけれど自慢は悠介さんだと」
「幾花さんに売り込んだのでしょう、それは手前味噌として聴きとってください」
「いいえ、おふたりの呼吸、言葉の奥にある想いからして、羨ましく感じました」
「そのように思ってくださいますか、母も喜ぶでしょう」
「あのこの話は私の一方的なものなのですが、お母さんと話をしていて、迷惑だと思われたら断ってくださってもいいのですが、もう決めたのです。大学を辞めてお母さんの弟子になりたいとお願いをしたのです。合格を頂きまして善は急げと言う事で東京へと言う事になりました」
「そんな人なのです、本当にいいのですか」
「はい、祖母と母を説得します。お母さんは祖母も母も倉敷にくればいいと言ってくれています」
「相思相愛ということですか、私は母には逆らえません」
 幾花はコーヒーを口に運び一口飲んで、
「おいしい」と言った。
「私も何時もの味でない味覚を感じたのですよ」
 その言葉を二人は理解していた。

     8

 脚本部には十人くらいの部員がいた。それぞれがプロット(テーマとすじがき )を原稿用紙何枚かに書いて提出、それは審査されて通ると、脚本家が脚本に書き、それが企画会議で検討されて、映画を撮るかどうかが決まる。監督が決まり、プロデューサーと配役を決め、本格的に動き出す。物語に必要な場所を設定するために事前にロケハンが行われ撮影が始まるのだ。
 私も自分のプロットの時には助監督として参加してどのように映画が作られるかを学ぶことになる。役者の演技については監督が指図し、エキストラの配置、動きは助監督が付ける。カメラ、録音、美術、着付け、照明、大道具、小道具、車両、雑用、総勢百数十人以上が一つのものを制作するために心を一つにする。ここに集まる人達は映画が大好きという人達の集団なのだ。
 私も何回も助監督として現場を経験した。そんな毎日は疲れなど感じないほどの情熱にあふれていた。
 プロットの採用が多くなるにつれ脚本を書くように指示された。
 その忙しいなか早苗から届く手紙に変化が現れ出していた。気になったがその事に触れずに元気で頑張ってほしいと返す日々だった。
 そのころ、篠田正浩監督と岩下志麻の結婚が報じられ、大島渚と小山明子、吉田喜重と岡田茉利子の結婚と、新進気鋭の監督と大女優の婚儀が大大的に報じられていた。
 そんなある夜、ロケを済まして帰ったら社宅の前に早苗がうずくまっていた。
 早苗は私に気づくと立ちあがってぶつかるように抱きついてきた。
「どうしたの、連絡をくれれば・・・」
「助けて、私、壊れてしまいそう」
武者ぶり付いて腕に力を入れた。
「とにかく部屋に入ろう」
私は早苗を部屋に入れ食卓を囲んだ。お茶を出すとそれを一気に飲み干した。
「どうしたの、何があったの」
「もういや、こんなみじめな、辛さには耐えられない。このままだったら精神も体も壊れてしまう」
 早苗は両の手で顔を覆って泣きだした。
「なにを心配しているんだ、そんなに不安なのかな、僕は君にも銀杏にも誓った。それは生半可なものではない。監督と女優が結婚してその事で悩んでいた事は手紙の中でうすうす感じていた。が、僕には早苗しか目に入らない。誓いを破り約束を反故にするそんな生き方は出来ない。そんな恥知らずではない。あの夕陽に向かって叫んだ、敏則と早苗のものだと言ったことも大切にしている。あの時の夕焼けのように早苗の灯りは永遠なものとして、それを支えとして暮らし、早く迎えに行くことばかり考えていた」
 早苗は涙を手で払いながら立ちあがって私の背中をどんどんと叩きながら、
「そんなに私の事を愛してくれるのならなぜ私を抱いてくれないの、何でそんなに優しいの・・・もうあの約束は私が破る、もう、私の生理がもたない。私を愛しているなら壊れる前に助けて」
 と私の背中に顔をうずめた。
「さみしい想いをさせてごめん、ここにいてくれていい。だが、けじめだけは付けさせてほしい、ロケもあと何日かで終わるから、それから一度帰ろう。両親に報告して、銀杏にも話して許してもらおう」
 早苗の泣き声が大きくなっていった。
「信じなかったわけではないの、だけど、不安だった。その思いで自分を追い詰めていた。敏君に準備が出来ていると誘っても抱いてくれなかった、だから余計に悩んだ。愛してないのだと思い毎晩泣いていた。楽しかった思い出を浮かべてなお涙があふれた。・・・ごめん、私の愛が足らなかった、敏君の言葉を信じる愛が薄れていた。そのために毎日毎日手紙を書いた。写真を抱いて寝た。もう駄目、毎日一緒にいたい。あの頃毎日会いたくて邪魔をしていた。・・・来てよかった、やはり敏君の顔が毎日見たい。話したい。・・・行って来い、と見かねた父が切符をくれたの…」
「僕は早苗が大切だから汚したくなかった。だが、それが早苗には負担になっていた事を今思う。早苗にそこまで言わせた責任は僕にある。国鉄マンはお客さんを安全に目的地に運ぶために石炭を釜に投げ入れる、早苗と僕のレールはこれから二人の幸せのために敷かれている、脱線は絶対してはならない、それが国鉄マンの家族の思いだと思っている」
「敏君が成長しているのに、なぜ私は立ち止まっていたの。もう離れたくない、一緒に暮らして私の手を引いて育ててください」
「分かった、帰ってその話を付けよう。待たせてごめんね」
「ありがとう、こんな私をそこまで…。私も敏君を応援したい、同じ思いで一緒に生きたい。・・・
よかった…安心したら何かお腹がすいてきた」
「早苗らしくなった」
 二人で会食した。黙々と早苗は食べながら何時もの表情に戻っていた。
 私の脚本が企画会議で通り映画化が決まった。その準備の前に二人は銀杏が聳える場所に立っていた。両家の祝福を受けて結婚が決まった報告をするためだった。

     9

 悠介はカウンターの椅子に座ってぼんやりとしていた。
 母と幾花が東京に行ったが、その夜に母から電話がかかった。
「話はついた、賛成してもらった。一週間ほどあそんでかえる」
 まるで昔の電報の様なものだった。母らしいと思った。話の内容と何がどう決まったのかも話さなかった。
 今日のコーヒーも美味しかった、その原因が幾花にある事を知っていた。
 さて、これからどうする、今のままのように気ままに生活をするわけにはいかなくなる。来年は三十だ、夢の実現に前向きに取り組まなくてはならないと思った。がさて自分の夢は何か、考えなくてはならない。遺されている財産だけで暮らすには夢がなさすぎる。医師に戻ろうか、趣味と道楽のカメラを職業とするか、今の喫茶店をまじめにするか、父が目指した地球の生成の研究をするか、考えがまとまらずにならべてみた。その結論が出ないことに苛立った。
「夢は何処にでも転がっている。夢があるところをいくら探しても見つからない。夢のない所で夢を拾いなさい。それが本当の夢を見つける方法なのよ」
「私がなぜあなたを勘当された家に連れて帰って来たと思う。屋敷と財産はあっても夢がなかった。それを探すために大学へ行く、留学もし、海外派遣にもでた、だけど何か心に残るものはなかったのよ。そんな時、納戸にある機織り機が浮かんだの。作ろう、生きた証しとして織ることで伝えようと思ったの。この文化の無い街に伝えられ寂れた倉敷織りを復活させよう、それを夢にしようと思って両親に頭を下げて許しを乞い、見様見真似で始めたの。教えを乞うために奔走した、その時夢を食べていると言う実感を持ったの」
「なにもないところから夢を生みおとす、それが本当の夢物語なのよ」
 母の言葉を思い出し繰り返し自分の心に問いかけていた。
「私があなたのお父さんに惚れたのは、四億五千万年前にたどり着こうとしている夢をみていたことなの。あの人は真剣にその夢を追っていた。こんな人がいるのと呆れていたら惚れていた。お金儲ける事も食べることも、本当に不器用な人で夢を追う事だけが頭にあった。生活するうちに夢を見ることの素晴らしさを教えられていたの。あの人に比べたらほんの小さな夢だけど、これが精いっぱいの私が見つけた夢なの。私はあなたになにも指図はせずに好きにさせたのはきっとその事で考えると思ったから。生きることの意味を感じ見つけようとする時にきっと気がつくと思ってね。色々と迷う事は堕落ではないわ、それは寧ろ成長の過程なのだと言う事を感じ取らせかったのよ。なんでもやってみなさい、転びなさい、転んだらまた起き上がればいい、人生には常に再生と言うチャンスはあるものなのよ」
 悠介は思いの迷路の中で立ち止まっていた。
「人を愛すると人間は臆病になるわ、それは守りに入るからなの。自分の夢の限界を知るからなのよ。その人と同じ夢を見ようとするからなのよ。夫婦が同じ夢を見る事は無いわ、いくら愛し合っていても眠って同じ夢なんか見られないと同じように。よく結婚式の祝辞で花嫁に花婿のお袋の味のみそ汁を作るようにと言うけれど、あれは嘘、妻の味を夫に押し付ける、それが愛と言う事。それと同じで違った夢を二人が持って生きていくことが本当の愛を持った夫婦だと言う事がわかるものなの。それを認め合うのが結婚なのよ」
 この母の言葉は悠介の連れが集まりワイワイと議論をしている時に仕事場から出てきて語った事だった。
 自由に生きるために持つ夢については責任が付きまとうと言う事を知らされるものだった。
 悠介は考えを巡らせ、今世界の、日本の、そして倉敷にないものを見つけることだと思った。
 それが母の言葉に対する答えなのだと気づいたのだった。
 幾花は母の弟子に入り倉敷織りを織るという夢を持とうとしている。今までの彼女の環境にはない世界に飛び込んでいく姿を行動に変える勇気に感服していた。その決断の速さは若くして生きる意味を感知していることのように思えた。
 東京で母が幾花の家族とどのような事を話し納得させ、合意をしたのかは悠介にはどうでもよかった。
 それより自分の事で一杯であった。
「人は愛することで臆病になる、または、勇気が生まれる、さあどっちだ」
 勝ち誇ったように言う母の言葉が悠介の脳裏に生まれていた。
 悠介は車を出して走った。父と母と三人で見た銀杏の木を見るためだった。その頃の父と母の心を感じ取るためにその場所を選んだ。
 寡黙だった父が銀杏を見て一言、
「美しい」
 とこぼした言葉の意味を知るためだった。
 暗闇の中の銀杏は悠介を見下ろすように感じたが優しく抱え込んでくれた。
 暗闇の中に悠介は限りない勇気を与えられていた。

     ⒑

 私の脚本を私が初監督をしたのは、私が住んでいた社宅を出てアパートを借り早苗と暮らし始めてしばらくたってからだった。
 早苗は精神を落ち着かせ元の明るさを取り戻していた。まだ結婚式は行っていなかった、作品が完成したら式を挙げることにしていた。
作品の題名は「銀杏繁れる木の下で」、私と早苗の物語であった。オープンセットの中でひときわ大きくそびえるのは銀杏の巨木だった。その下でともに成長する青春ドラマだった。セットはロケハンして大元駅を作り銀杏を植えた。今の銀杏を持ってくる事は出来ず、年代をさかのぼっての大きさを植えたのだった。私のイメージで大道具と美術に指示して作ったものであった。役者には自由に演じさせた。演技を極力させなかった。その個々の役者の姿を撮った。絵コンテも描かなかった。監督椅子に座ってじっと見つめていた。早苗と会った時を思い出しながら見ていた。
完成したものは大ヒットとはならなかったが評論家はほめてくれた。
早苗と結婚したのは完成後の試写会が終わり挨拶を済ませて次の日だった。質素、身内だけのこじんまりとしたものだった。大元駅の銀杏と長門の浜の銀杏に会いに行くことが新婚旅行になった。
それから青春ものの映画を何本か監督をした。子供の佳苗が生まれたのは結婚して二年目だった。ちょうど時期を同じくして私と映画の主演を演じた女優とのスキャンダルが報じられた。この手のやらせは偏に観客動員のための宣伝なのであったが、早苗は信じてしまった。
いくらなにもない、あれは会社がうその話を作り雑誌に売り込んだものだと言っても聞き入れなかった。
早苗に大きな負担を感じさせる結果となり、生まれた子供の面倒も見られず放置すると言うところまで病んでいった。明るい反面考え込む性格を知って注意をしていたのだが、優しく接し、いたわりの言葉は私が何かを隠すためのものとして受け止めるようになっていった。早苗の母が付き添ってくれていた。精神科へ通院しても心の病で薬を調合されるだけだった。
早苗は私を拒否するがなだれ込むように縋りついて泣いた。
そんな状態が何年か過ぎて行くなか、私が監督をしていては精神的に心を壊し、自分を責める早苗を思った。泣きながら縋りついてくる早苗を抱いて眠った。
実家に返っても症状はよくならなかった。私と離れたことがより症状を亢進させることになっていた。
私は決断しなくてはならなかった。監督と言う仕事をしていたら早苗は救えない。
「信じなかったわけではないの、だけど、不安だった。その思いで自分を追い詰めていた。敏君に準備が出来ていると誘っても抱いてくれなかった、だから余計に悩んだ。愛してないのだと思い毎晩泣いていた。楽しかった思い出を浮かべてなお涙があふれた。・・・ごめん、私の愛が足らなかった、敏君の言葉を信じる愛が薄れていた。そのために毎日毎日手紙を書いた。写真を抱いて寝た。もう駄目、毎日一緒にいたい。あの頃毎日会いたくて邪魔をしていた。・・・来てよかった、やはり敏君の顔が毎日見たい。話したい。・・・行って来い、と見かねた父が切符をくれたの…」
 その言葉が浮かんでいた。
 愛と言うものは常に寛容をもたらすものではなく、愛するが故に不安と恐怖をもたらすのだ。
 早苗は私が映画監督になる事を本当に許してくれていたのか、人間の心を切り裂くものを作らなくてはならない時に平静ではおられない事を知っていたのだ。それに恐怖していたのではないのか。
「私は機関士の妻でもいいのに」
 この言葉こそが早苗の本心であったのか。
 背伸びをしてついて来ようとして心が壊れかけている。
「私は壊れる」
 そう言った時になぜ気づかなかったのか、私は自分を責めた。
「そんなに私の事を愛してくれるのならなぜ私を抱いてくれないの、何でそんなに優しいの・・・もうあの約束は私が破る、もう、私の生理がもたない。私を愛しているなら壊れる前に助けて」
「僕は早苗が大切だから汚したくなかった。だが、それが早苗には負担になっていた事を今思う。早苗にそこまで言わせた責任は僕にある。国鉄マンはお客さんを安全に目的地に運ぶために石炭を釜に投げ入れる、早苗と僕のレールはこれから二人の幸せのために敷かれている、脱線は絶対してはならない、それが国鉄マンの家族の思いだと思っている」
「敏君が成長しているのに、なぜ私は立ち止まっていたの。もう離れたくない、一緒に暮らして私の手を引いて育ててください」
 あの時のやりとりが、今を予見していたことになぜ気が付かなかったのか。私の野望に付き合わせて苦しめた、
 私は銀杏に誓った、
「早苗を守り幸せにする」この言葉は真実のものではなかったのか、あの尋ねてきた時になぜ気がつかなかったのか」
 長門の夕景を見つめて叫んだ心をなぜもっと見つめなかったのか。
「この夕日は敏則と早苗のものだ」
「今、早苗と言った」
 早苗の心を見たときに、もっと二人の幸せの場所を探そうとしなかったのか。
 早苗をこのような状態にしたのはこの私だ。幼い頃から知り尽くしていたはずではなかったのか、明るく振る舞っておどけていた心をなぜ理解しなかったのか。
 私は映画会社を辞めて大学の映画科の講師になる事にした。
 それにはテレビと言う娯楽媒体が映画産業を疲弊へと追いやろうとしている時でもあり辞めるきっかけでもあった。
佳苗を育てながら、早苗の精神を安定させるためのものだったが、回復には時間がかかった。毎晩、抱いて寝ていた。やせ細っていたからだが少しずつ膨らみを持つようになるまでそれを続けた。
恢復の兆しが見えてから、二人の銀杏を見に行って、
「荘厳で、鎮魂で、長寿」をねがった。
銀杏は二人の人生のなかにあって精神の主軸となり支えになっていた。早苗が元気になっていくなかで取り戻していったのは、生きると言う意味、誰かが必要としてくれる限り生きると言う事だった。 
「敏君が愛してくれたから、私はその倍愛することにした」
 その貌と声は、銀杏を赤く染めて沈んでいく夕日に向かって叫んだ。
「え、今早苗と言った・・・、あの夕陽は敏則と早苗のものだ」
 あの時に戻っていた。
 平凡な家庭のなかで生きて、娘を慈しみ育てる日々が過ぎて行った。 
 佳苗を嫁に出し、二人の生活は元に戻った。

これは私の記録である。生きる場所や時間の違いに気が付いたら、それを変えればいい。だが、愛すると言う事は愛されている人にとっては苦しみの場に変わることもある、愛することと愛される事は同義語である。
早苗と私の愛はまさにそれであった。
早苗を愛したことに喜びを感じている。いい人生であったと納得し満足をしている。
映画世界からの逃避についてもよかったと思っている。大学で映画青年たちと学びあったことも楽しい記憶が残っている。
『生きて愛して死んでゆく』
それが本来の人間の姿なのかもしれないと感じている。
 娘の佳苗にとっては不慮の事故で夫を亡くしたが、娘を愛し育てることでその悲しみはいやされる事を願っている。

 私のマイ・ウェイ
 思い返せば 色々なことがあった
 どんな時にも 夢は手放さなかった
 恋して、笑い ないたこともあった
 今はもうわすれたけれど 強くなったと思えた
 自分のしたことを思い出すと 恥ずかしくて言えないが
 立ち止まっている時じゃないと
 何時も、私のやり方で 道を開いた
 躓いて倒れても ひたすらあるいた
 自分の道を生きて来た

 今振り返り 後悔はしない
 どんなときにも愛は 忘れなかった
 出会って 愛して 育てたものに
 今でもそれに支えられ 生きた日々を振り返る
 自分のいたらなさのせいで 人を傷つけてないか
 その事が、少し気になる 事もある
立ち止まっている時じゃないと
 誰でも自由な心で暮らそう
 自分の道を生きていくために・・・

 銀杏が出会いをつくり、ともに育った、二人の愛を見ていてくれたことに感謝して…・
 銀杏の葉の栞はまだ書斎の本に挟まれている。
                              木田敏則 早苗



 悠介は、幾花の祖父が書いた自分史を読み終わった。夢を捨ててまで一人の女性を愛すると言う夢を選択していることに驚きを感じた。がそれはなぜかすがすがしいものとして心のなかにとどまった。男として生まれ人を愛する勇気と責任を見せられたことに今まで持っていなかった愛と言う概念を持った。
 銀杏とともに映る一人の老人は何かの祈りをしているようにも見えた。その祈りは二人の出会いを偶然と奇跡によって作ってくれた感謝の祈りだと確信した。
 自分もこのように人を愛し、その愛を夢にまで高めることが出来るのだろうかと思った。
「人は錯覚をして恋に落ち、それで愛を誤解して結婚をする。人間の歴史はその繰り返しなの」
 母が言った言葉は、照れが言わせたものなのだ。つまり逆説なのだ。真実の裏返しなのだ。
 母が言いたかったのは真理の裏返し、恋と愛を崇高なものなのだと言いたかったのだ。
「人が生きると言う事は、一人一人の心のなかにある大切な種から芽を出すものを育てること、それには夢と言う肥やしがいるの」
「女は愛することで勇気をもらい、男は愛することで臆病になる」
 この言葉も女によって創られてきた人間の歴史を証明している言葉なのだ。
「美しい」
父がいったその短い言葉のなかには、生きとしいけるものが常に持っていなくてはならない、穏やかさと慈愛から生まれたものであることを教えられた。
悠介はこの一週間、考える事がこんなに楽しいものなのかを会得していた。
コーヒーの味を奥深いものとして飲むことが出来た。こころに余裕が生まれるのを感じていた。

「遊んできちゃった、たまにはいいか。結果報告をします、幾花さんはあなたと結婚することを喜んで承諾、家族の皆さんもそれを歓迎、みなさんは東京を離れてこの家で一緒に暮らすことになる。何か文句がありますか、私はあなたの親なの、あなたの気持が幾花さんを欲しがっている事はすぐに直感できたの。何か反論はありますか、あなたの心に沿っていなかったら言ってちょうだい」
 母は勇者の頬笑みのなかで言いきった。
「結婚なんか言ってみれば博打と一緒、丁と出るか半と出るか分からないから面白いのよ。だけど言っておく、この地球上には何十億と言う男と女が住んでいる、そのなかで出会って結婚する、恋をして戸惑い、愛して生きている事を実感する、これは偶然の奇跡ではなく、四億五千万年前から続いた歴史のほんの悪戯なのよ、それを信じてみんな結婚する、なぜと聞くならそれが動物の本能としておきましょう。本能に逆らう事は絶滅を意味しています。はい、賛成なら盛大なる拍手をお願い致します」
 悠介は何も言えなかった。腹の底から笑いが湧き上がってきた。
「ごめんね。何か出しゃばって、またやってしまった。あなたのお父さんの生き方に呆れていて恋をして、一途さを愛して、勘当され、あんたが生まれた、それは勘違いから生まれた私の歴史なのよ。だけど一つだけ言っとく、結婚には愛情と友情がなくてはならない、友情は愛情より勝り、泣きながらこぶしを振り下ろすもの、愛情はちょっとした行き違いで憎悪にかわるものなのその二つを探すのが夫婦としての信頼なのよ、これも至らなかった私の懺悔の言葉…」
 喋り出したら終わらない母と寡黙な父の生活はどのようなものだったのかふと思った。
「ああ、言うのを忘れていた、銀杏は安産祈願も受け付けているって」               
 
     ⒓

あなたが書いたこの作品に貫かれている愛の重さをしっかりと受け止めることが出来ました。とても美しいものとして私の心に広がつて行きました。おじさまと北海道の地を訪れて帰りましたら今度は私があなたの心を奪いに行きます。
 なぜ・・・
 砂漠の燈台の灯りは、今までたくさんの灯りの意味を捜す試みをしてきましたが、今ようやく私にはあなたが必要であることをさらに納得し痛感したのです。
 女性にとってその灯りはこれから生き続けていく人間にとっての一番大切な遺伝子、人類が誕生したときから脈々と続きその遺伝子の中で生き、生きた証としてその遺伝子に刻み込んできた人たちのものを受け継ぐことだと感じたのです。
 私が自然や文明をなぜ解き明かそうとしたのか、それは生物の命の遺伝子、が暗闇の中から灯りを引き出していたのです。
それが生物にある命の根元の遺伝子であることに気が付いたのです。
 銀杏のように、私もたくましく生きる、あなたを燈台の灯りと思ったのも、あなたの遺伝子を私がこれからの未来につなげることなのだと思い、決めたのです。
 もう、私は逃げません。
 古代から人間は文明を作りその文明によって滅んでいます。が、その遺伝子は今につながっています。
 倉敷に帰ったら逃げないで向き合ってください。そしてあなたの燈台の灯りを私にください。
 人間にとって未成熟なのは文化に頼りこころの進化をお座なりにしてきた大罪、未熟な命をそこにおいて愛について語り子をなしたゆえの退廃、それらを見詰めてきた私には、明日がなぜあなたを必要とするのかを知りつつあるのです。
 北海道の文明を掘り起こしたのちにはすべてを閉じて倉敷に帰り、新しい燈台の灯りの下で生活するつもりです。
 
縄文期の出土される土偶には女性の妊婦の姿をしたものが大量に発見されています。そこに縄文期の男と女の濃厚な愛を見るのです。男は妻になる人のために首や手首を飾る装飾品を作り頭に載せる飾りを作るのです。求愛する、素朴な出あいで純真な関係が生まれ、女は初潮を迎えると一緒に暮らすようになり、やがて子をはらむのです。何の打算もなくただ愛という絆が続くのです。男は女の妊婦の姿に似せて土を練り作るのです。完成して壊して住居地にばらまいて隠すのです。妊婦の息災を願い、身代わりとして壊すことで女を守ったのです。二十数歳の寿命の中で彼たちは次の世代に託す命を誕生させ命を終えるのです。ただ遺伝子を残して…。       
そこに今では考えられない幸せな時間を共有していた歴史があるのです。縄文期の男と女の時間、それは動物の女としても、私は羨ましさを感じてしまうのです。そこに人間が存在した証拠として真の人間社会があることを思うのです。なぜ、そのような縄文期という時代が一万七千年間という長く続いたのか、そこには動物として、人間としての誕生と死んでいく中に愛という相互の関係の中になにか最も大切なものがあったとしか思われません。それは命を運ぶこと、その本能の中に充実した愛による生活の支配があった、だから縄文期が長く続いたという結論を見るのです。 

人間の心の中に巣くう遺伝子を解き明かし引き出してこれからの人間を創造することに生涯をかけたいのです。あなたと一緒に…。
 滅びることのない二人の文明を作るために…
 砂漠の燈台の灯りに導かれた人類のためにも…。
 生きることも死ぬこともそれを超えた時に本当の人間の姿が見えてくることも…。
 そして、愛する思いを永遠にしようとするとき、その永遠は遺伝子しかないことも…。

 あと数日の後、私は緑なす北海道の大地の中に、今までと異なる思いを抱いて立ち尽くしているでしょう…。


創作秘話 「砂漠の燈台」

 この作品は、私が読みたいから書いたものだ。この歳になって若かったころに読んだ物を引っ張り出してと言うのも億劫なので書きながら読むと言う事で書き始めた。五年前に書斎をリフォームして五千冊以上は破棄した。あとには、図書館でもないというものを遺したが六畳の間に平積みをしていて、昔の書斎のようになにが何処の棚と分かっていた時と違って何処にあるのかも分からなくなったからと言う事もある。
 今は背表を見てこの本を読んだのはあの頃だったなと記憶を呼び醒ましてほくそ笑んでいる。私は読んだ本はすぐに忘れて次々と乱読していたから覚えていないと思っていた、が、背表を見ていると何処にこのような事が書いてあったと思い返している、と言う事は記憶のなかに蓄積しているということになる。そんなに精読をしていないのにと、作者に
申し訳ないと思うが、今思い出されると言う事はある意味で作者が作品を通して私の心をつかみ、私はその思いを心に畳んでいたという事なのだ。
 忘れていること、そのなかから私の書くものに影響を、人間を教えていてくれたことに感謝しなくてはならない。
 多い時には二・三万冊はあったから、積読ものもかなりあったが、そのなかから知識となり知恵に切り替えられたものも沢山あったろう。それが私の頭の中で私なりの表現に変えながら書いたと言えよう。
 福沢諭吉氏が、国家、民族、と言う言葉を発明し、作り、今では世界中で使われるようになっていることもありがたいもので、総ての言葉を先人が発見し、名前を付け、たものである。が、それらを使い書いて創造物だからと言って著作権を欲しがる作家の多くは何と言ういやしい考えしか持ち合わせていないのだろうか。
 作家が金に執着をし欲を持つと碌な事はない、それが今の日本に文学が育たないと言う事に通じている。まず先人が残した言葉を使って今を書き後の世まで遺すと言う事は無いらしい。今、金が欲しい乞食根性なのである。
 私はそんな本を読みたいとは思わないから、自分のために書いている。
 爾来、書きものをするという事は自分の備忘禄として、また、子孫のために書いたものだ。作家は金に目がくらんだ亡者、著作権なんか溝に捨てることをお勧めしたい。
 この「砂漠の燈台」は自然と人間の一体化を基軸にして人間のこころに巣くう曖昧な心の中から光を見つけると言う物語にした。
 敗れ成就しなかった恋、青春の思い出が何時までも心に燃えていて、それを心の糧にして人生に挑戦すると言う物語を書いた。そんな小説を読みいと思ったからだ。歳をとると若い人たちの物語を、はかない時の巡りのなかに生きる人達の物語を読んでみたいと言う事も書く動機であった。
 今を生きている人達に文句は一言もない。その人たちになにが正しいかを言う資格は何処の誰でもない。ます、自分はこのように生きると言う事を持って生きることだと思うからだ。それを世間に対してこれが生きることの大切さだ、と言うのは宗教家、哲学者である物書きではない。物書きはその人たちよりもっと先に進んでいなくてはならないと言うのが持論だ。これは、歴史家、郷土史家の人達と大いに違う点だ。物書きはロマンを持たなくては書けない、常識ではなく知恵がなくては書けない、足元を見て全体を想像する力を持っていないと書けない、時間を感じてその時代に飛んでいける感性がなくては書けない、人の死を見てその人の全人格、過去と現在と未来を感じなくては書けない、雲のあり方を見て世界の趨勢を感じ取る機知がなくては書けない、顔や名前を物語の中で人格を持ったひとりの人間として書かなくてはならない、それがなくては一行も書けないものなのだ、が、今の作家はそれがなくては書くことが出来るらしい。見上げたものである。
 私は、明治大正時代の偉人の物書き宮武外骨が大好きである。見えていたから何ものにも動じず書きたい事を書き放り出したのだ。この反骨精神こそが人間の証しである。
 また、坂口安吾、この人からは狂気とあくなき執着を見て取れることになぜか親しみを感じる、堕落、それは一番に人間らしいなどとほざくあたりは喝采ものだ。この人の物が今は読まれているのか、これほど心やさしい作家はいないと言える。何をしてもそれが人間と言うものだからいいのだ、この言い訳は見事としか言えない。
 宮武外骨と坂口安吾の共通しているものは人間の優しさであり、それゆえに持たなくてはならないものは狂喜なのだと教えてくれる。
 私は二人ほど優しくはない、だからきれいなものを書いた、書きたいと言う自己満足をしているのだ。
 砂漠の中で道に迷う人達のために砂漠の中で明りを灯そうと言う一人の女性の姿を書き著わした。それは、人の心に巣くう不遜と傲慢なことなのかも知れないと思いながら書いた…。
 明日、私はサハラ砂漠にいるかも知れない…。と言う言葉を最後として閉じた…。

続編は、人間と自然との関わり合いについて、また、これからの人間の進む道を問うという形で書いた。
燈台、それは人の心にある事を書きたかった


あとがきに変えて…。
想いとして・・・。今までは小説を今田東が書き吉馴悠が脚色もした・・・。
「砂漠の燈台」と「天使の子守唄」「麗老」、これらの作品は六十歳で書く事を辞めていたが、十何年かぶりに書くことになった。書いていて、若い頃の事を思いだしていた。浅草のストリップ小屋の喜劇役者の方々に舞台の面白さを教えられ、新橋演舞場では、新派の北条秀司先生、台本を書いておられた池波正太郎先生に教えていただいたこと、また、岡山県下の多くの文学を志していた人たちとの交流、原稿を読み雑誌を発行し全国に配ったこと、特に『新日本文学賞』を受賞したが断らせた大江壮さん、「女流文学賞」をとりながら作家にならずに日本舞踊の流派を作った梅内女史の事は心に残っている。小説を書いていた私を倉敷で演劇の世界に引っ張り込んでくれた倉敷演劇研究会の土倉一馬さん、とその仲間たちから沢山の思い出を頂いた事。未熟な台本を公演してくれた事。また、私の作品で岡山県代表として日本青年大会に四度も出場し数々の賞に輝いたこと、それは倉敷の青年たちの熱意ある功績として、また、それを率いた土倉一馬さんのお手柄であること。そこで学んだものが貴重な歴史のページである。それらは走馬灯のように心の中で再現されていた。若かったころの夢物語である。
後に日本一の演出家、鈴木忠志さんにも手を差し伸べていただき、全国の演劇人たちと「財団法人舞台芸術財団演劇人会議」を立ち上げる一役を担い、鈴木メソッド演劇の真髄を魅せられた。鈴木さんの温情は忘れてはいない。日本劇作家協会に不満があり辞めたこと。映画の世界では表現社の篠田正浩監督、鯉渕優さん、永井正夫さんらのプロデューサー、岩下志麻さん他たくんさんの俳優さんと何作も仕事が出来たことも記憶を新たにした。それらの人との関わりで多くの思い出を貰った。そんなことを考えていたら書き上がっていた。子供たちと青年たちに支えられながら劇団滑稽座は存在した。七十二回も公演が出来たのも彼らが私を支え学ばしてくれたおかげである、子供達も育ち青年たちも成長していった。それも心に残る残照がある。私の我儘といたらなさのために傷を与えていたとしたらお詫びをするしかない。
「砂漠の燈台」は文明と自然の再生を追いながら人間の務めと幸せについて書こうとしていた。幸せ、それは人さまざまな形でそこにある。その中の一つの姿をとらえられていたらと思う。作中小説として「銀杏繁れる木の下で」を入れた。この作品は銀杏と言う自然の総体に対して人間の心の動きを追ってみた。私は無神論者で運命論者ではないが、何か不思議なものに導かれていると感じている。草稿は二・三日で書きあげた。六十歳までがむしゃらに走り抜けたが、年を経て気づくことが多い。後悔はない、私の心のままに生きてきた。夢を実現するためにいばらの道を、ぬかるんだ道を、多少の中傷も、試練として受け止めただ前に歩いた。これはすべての人が歩んだ道だろう。名利名聞には関心がなかった。ただ歩いた。人の評価に対しては反省の材料にしたが心には遺さなかった。
それだけになまいきだと叱咤されたかも知れない、それも私は前に進む材料としていた。
私は常々ありがとうという意味で言葉を書いた。
「人の世の哀しみにも華を咲かせ、人の世の悲しみにもたわわに実をつけよ」
「人には大切な種が心にある、それを育てるためには夢という肥やしがいる」
「この娑婆には、悲しい事、辛いこと、が、一杯にある、わすれるこった、日が暮れて、明日になれば…」
これらの言葉に幾度助けてもらったことか。
今思えば沢山の人に応援をしてもらった、沢山の人に出会えた。その人達とめぐり合えたことで何百という作品が生まれた。出会いに感謝している。
日本を代表する沢山の名のある人達から温かいまなざしと言葉を沢山頂いた、また、人とは何かを学ばせて頂いたが、その人たちに返す事はしなかった、私が生きていて出会った人達にその人たちの想いを伝えることでお許しを願うしかないと思って接した。この作品を手を差し伸べてくださった人達と支えてくれた人達、私と出会った総ての人達に捧げたい。不遜であるが…感謝をこめて…。                                             

七十五歳        吉 馴   悠


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